我が家の変なおじさん
- family
- 2020年4月26日
- 読了時間: 3分
原口明里
父が亡くなり、時間がたつに従って、 父のことについてじっくり考える機会が少しずつ減りがちでしたが、 弟の提案でこのように改めて文章に起こしていく機会が与えられて、大変うれしく思います。ありがとう。
私は両親が26歳の時に生まれた一人目の子供でした。 下の2人の弟と共に、とても愛されて育ったと思います。 よく遊んでくれて、優しく接してくれて、父にいたずらをしても笑って構ってくれるような、厳格な父親ではなく、遊び相手の父親として私たちを育ててくれました。 可愛い兄弟げんかをしたときはげんこつを一発ずつお見舞いされ、 可愛くない兄弟げんかのときには頭ごなしに怒ることはせず黙ってみていました。 激しく怒鳴って怒られた記憶は本当にあまりありません。 (その分、母が苦労したかと思われますが・・) とにかく本を読むことが大好きな父で、そして何を質問しても答えが返ってくるような博学な父親でした。 食卓での話題も社会問題や、国際政治の話、ときには物理的な?話題など、難しかったと記憶してます。 歌も大好きでした。私が教会の奏楽の練習をしていると、練習するピアノに合わせて本気で歌を歌ってきて本当にうっとおしかった。 『歌うなー!』と怒鳴っても歌うので練習を中断したこともありました。 あと自然も好きでした。特に鳥が好きだった印象があります。 ジャケットにサングラス、双眼鏡を持ち出して完全装備で庭先の雀を見に行く、と出かけている姿をみて、私の父親は変わっているんだ、と初めて気が付きました。 魚釣りにもよく連れて行ってくれました。 沢山釣れた時はとても嬉しかったけど、連れた魚を母に丸投げするものだから 母は激怒。というやりとりも鮮明に覚えています。 私が高校卒業後は海外留学をしたいというと寝ずにアメリカの大学について調べてくれました。私がアメリカの大学からカナダの大学へ転校したころにはインターネットも普及してきていて、メールのやり取りが増え、しばらくしてから父の胃がんの連絡を受けて、ちょくちょく電話をする機会も増えました。抗がん剤のせいで髪の毛と共に下の毛も抜けてしまった、という報告を受けたときは爆笑しました。何を聞かされているんだか。 わたしが社会人になってからは東京に出張に来るときは私のアパートに泊まっていました。 父が出張で使っていた革の鞄が、わたしの高校の学生カバンだったことを見つけた時は悪寒がしました。 本当に変わった父ではありましたが、私はどこかでいつも尊敬していました。 ネガティブな発言はあまりせず、感情に惑わされず、まあまあ、と人の話を聞いてくれました。そういうこともあって、私は父親に対して反抗期があったことがないと思います。(イラっとすることはよくありました) そんな父が亡くなって、この10年、私にもいろいろな出来事がありました。 引っ越しもいっぱいして環境も変わりました。大きな病気もしました。 同じように入院生活を送っていた時によく父親院した時のことも思い出しました。 数々の困難はこれからもあると思いますが、父のあのおおらかな姿や、病と静かに向き合った姿勢を思い出して、私も静かに強く生きていきたいと思っています。
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