市川への引っ越し
- family
- 2020年5月5日
- 読了時間: 3分
ロン・ハンキンス
リディア・バロー・ハンキンス
市川にある、古い宣教師用の家屋に新しい宣教師が越してくる、という話が流れたと き、原口さんは市川八幡キリスト教会に着任されたばかりでした。
市川八幡キリスト教会は、宣教師との協働を視野に入れているわけではありませんでしたが、原口さんは地域で働く牧師として、ハンキンス夫婦を歓迎するよう頼まれました。私たちがこの家屋に住むことになったのは、以前に2年ほど日本に滞在した経験があり、ぎこちないながらも日本語を話すことが出来たからです。
その朝はとにかく慌ただしい朝でした。荷物や家具に囲まれ、引っ越し業者が出入り するなかで、リディアは玄関口に立ち、業者に荷物をどこに運ぶかの指示を出すため の日本語を必死に思い出そうとしていたのです。
そのとき、ある作業着を着た小柄の男性が現れました。業者と同じような出で立ちです。
リディアは彼に「外にある箱をダイニングに運んでもらえますか?」と伝えました。
彼はその箱を運び終えると、また玄関に戻ってきました。
リディアが「そこの箱もお願いします」と言うと、彼はその箱も中に運び入れました。
そして玄関に戻ってくると、彼は唐突に「はじめまして。お手伝いは喜んでするのですが、私はこの地域で働いている牧師です」と言ったのです。
それが、私たちと原口さんの出会いでした。 私たちはひとしきり大笑いし、私たちの友人関係が始まりました。原口さんは、いつも 地に足がついており、思い込みに惑わされず、難しい局面でもユーモアを忘れない余 裕をもち、どんな人でも受け入れてくれる人でした。私たちのような、予期せず訪れた 宣教師でさえも。
「祝祷」 私たちはよく教会の上にある牧師館を訪ねました。引っ越した月には、明里さんの誕 生日に寄せてもらいました。
牧師館にはいつも洗濯されたオムツが干されていましたが、原口さんたちは私たちのことをいつでも歓迎してくれました。 私たちは、その下の階にある礼拝堂で奉仕するこの新任牧師から、多くのことを学び ました。
しばしば、既存の教会規則が若い牧師にとって障害になることもありますが、 新しい文化、異なる言語に慣れようとしていた私たちには、原口さんの姿から学ぶこ とが多くありました。
当時の市川八幡キリスト教会は、バプテストらしからぬ、とある課題を抱えていました。
それは「叙任された者以外は祝祷が出来ない」というものです。
「叙任されていない牧師」という概念、また「その日の礼拝で神のメッセージを語るよ
う委託されたものでも、祝祷をすることは出来ない」というルールは私たちには理解し
がたいものでしたが、それが「規則」でした。
原口さんは、標準的なものとは少し異なる形式の祝祷(それでも明らかに祝祷と分か るもの)を行うことで、この規則を潜り抜けていました。
新任牧師を鍛えようとしていたある教会員は、しばしば礼拝のあとに彼の「非行」について暴力的な言葉で責め立て、嫌な雰囲気になることもありました。しかし原口さんはいつも静かに、笑顔さえたたえながらその言葉に耳を傾けていました。
彼の忍耐力は、聖人さながらでした!
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