編集後記
- family
- 2020年5月5日
- 読了時間: 3分
原口 建
父さんが死んで10年。長いこと「やらなくちゃなぁ」とダラダラとしていたこの冊子も、ようやく日の目を見ることが出来た。ひとえに協力してくださった皆さまのおかげとしかいいようがない。感謝、感謝、感謝。
2010年の正月、私は実家に帰っていた。去り際に父さんと何か話しただろうか。何も覚えていない。余命宣告のことを父さんの口から直接聞いていたのにも関わらず、私は感覚的にそれを飲み込めていなかった。こういうとき人は「きっと大丈夫だ、なんとかなる」と思いたがるのだろう。私には父の居ない世界というのはまるっきり想像が出来ていなかった。
それから3週間ほどあとに父が危篤だ、という報せを受けたとき、そのことをどれだけ悔いただろうか。留学で海外に居たせいで、飛行機に乗れたのはその翌朝だった。ようやく小倉にあるシオン山教会にたどり着き、父の棺を前にしたとき、私は嗚咽を漏らし床に泣き崩れた。
死に目に居合わせられなかったのは辛かったが、それ以上に「何故自分は父に何も伝えなかったのか」と責める気持ちがあったような気がする。
葬式の準備をするなかで誰かが言った。
「徹さんはまだここに居るような気がするよ」「これから天国に行くんやろうね」
私はその時、父さんが天国に行けるとは思わなかった。酒ばかり飲む、つまらない男じゃないか。脳裏に浮かんだのは、母さんに見つからないように、押し入れの奥に芋焼酎を隠していた父の姿だ。大した悪人ではなかったが、天国に行く資格のあるような善人とも思わなかった。
それでも、その時の私は「父さんの居ない天国よりは、父さんの居る地獄に行きたいなぁ」とぼんやりと考えたものだった。
私は決して良い息子ではない。親の財産をむしり取り、好き放題やってきた、というのは聖書に書かれた放蕩息子と瓜二つだ。今も、父や母に胸を張れる人生を送っている、などとは口が裂けても言えない。
放蕩息子はトボトボと家路につく。なけなしの金は使い果たし、身なりもボロボロだ。夜を過ごすあてもなく、親に合わせる顔もない。私にはその気持ちが痛いほどよく分かる気がする。
それでも「何かしらの形で受け止めてくれるのではないか」と息子は帰る。その心の奥底にはひとかけらも駆け引きをするつもりはない。あるのは、自分のことを引き受けてくれる存在に対する希望と信頼のみだ。
徹さんもきっと、そのような気持ちでトボトボと神さまの元へ行ったのではないだろうか、と想像している。
この冊子制作に取り組む中で、100本ほど徹さんの説教を聞いた。当時まだ小学生~中学生だった私には全くピンときていなかったが、これまで父から聞いた話や思想、社会や世界に対しての理解が私に大きな影響を与えてきたことが、いまならば手に取るように分かる。なにより、徹さんのメッセージを聞いてその温かみに触れることが出来たのは、大きな恵みだった。
もしこの冊子を手に取る皆さんと、その温かみを共有することが出来るのならば、それ以上の幸せはない。
原口 建
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