徹さんが遺してくれたこと
- family
- 2020年4月26日
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塚田正昭 「フィリピンのレイテ島のイサベルという所で地元の人が日本の企業による銅製錬所か ら出た鉱毒でひどい被害を受けているらしい。体を壊したら住居を追い出されたり大変ら しい。公害輸出や日本では規制が厳しくなったのでフィリピンに移ってやっとるげな。そ れが明治の足尾鉱毒事件を起こした古河鉱業をルーツとする古河電工げなバイ。あんたも 一緒に調べてみらんネ」(1998年春のこと) この言葉が徹さんから僕に発せられた最初の呼びかけの言葉だった。興味を覚えた僕が さらに説明を求めると連盟公害問題特別委員会(以下、公害委)では現地に安藤榮雄委員 ・梅田環委員の二人は調査に出かけたとのことであった。 公害問題という企業活動がもたらす富の獲得の裏に貼りついた負の部分である。 生命・環境の汚染・破壊が大きな社会問題となって叫ばれていた頃のことである。公害 問題は創造主なる神によって良しとされ、造られた生命 その足台である大地の汚染破壊は 創造主の語られる言葉に反する行為である、と公害事件を問い糾している公害委への参加 を僕に促す徹さんからの誘いの言葉であった。 促されてこの公害輸出事件について調査に参加させてもらうと、古河電工を主体とする 日本企業が合弁会社パサールと称して規制のほとんど皆無に等しい地で銅の精錬をフル稼 働、それにより地元住民の健康被害、漁業の操業が不能に、また住居の立ち退きまで迫ら れている実態が明らかになったのである。 冒頭から小難しいことを長々と書いたが、このことは僕の聖書読みを変えることになっ た始まりである。 大袈裟に言えば(僕にとって決して大袈裟ではないこと)考え方、生き方をも変えられ ることとなった。 被造物の命を起こされ、造られた主なる神。天地万物、環境を造り、整えられた神は抽 象的、観念的なお方ではなく、この地に働かれ、その跡をこの地に刻んでおられる神なの だ。その神の働かれている現場があるということである。 以来、公害委での歩みを徹さんと共にする中で、徹さんは聖書を足で読んでいる人、い や頭だけでは読むことができなかった人だった。徹さんは公害事件の現場へ出かけて行き 、そこで苦しむ人々と出会い、その人たちの語る言葉に耳を傾け、汚された現場の環境の 中に立って、聖書を読み、歩みを続けた。 “わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを語らないわけにはいかない。”(使 徒行伝4:20) 無学なただの人と言われたペテロの語った言葉である。 “目に見えない神を、神の国を語るのにこの地は神の足台として天の玉座とつながってい る”(マタイ伝5:34〜35) 天とつながっている神の足台であるこの地に起きている出来事と、その現場に足を運ん で見たこと、聞いたことを語っていた徹さん。 その徹さんに出会い、公害事件の現場、足尾、六ケ所村、水俣へと共に足を運び、観念 的な捉え方だけ生命、環境を考えることの無いようにと僕は導かれていった。 拙い乍ら、聖書を読み、主日毎に語る自分の中心に据えている立ち方である。 その徹さんが最後に「行かないかんバイ」と呼びかけられて果たせなかった所が二つあ る。 一つはチェルノブイリ。2011・3・11の現場を知ることのできなかった徹さん。 知ったら「今こそチェルノブイリの人たちと出会い、現場から学んでフクシマのこれから と取り組まなイカンバイ」と声を大にして語られるハズだ。 もう一つの場所、それはカナダ。亡くなる直前の2010年1月8日(金)、電話で話 した。「原口さん、明里ちゃんに会いにカナダに行くバイ。元気出して」との僕の呼びか けに「うん、行きたかねぇ〜」と返事があり、最後の会話となった。 徹さん、あの5年後、カナダのバンクーバーに行ったよ。ウィスラーでキャンプした夜 、空を見上げたら、徹さんが天から見守ってくれていたような気がしたよう。
天と地とつながって、一緒、行けたね!! 神を慇懃無礼に祭り上げることなく、この地に生きる人と人との間に立ち起こる出来事 を通してそれがどのように辛く、悲惨な出来事であろうともその只中に主イエスは立ち尽 くしておられる。その所に神の国が見えてくる。そう、徹さんは僕に言い遺してくれた。 有難う。 “神の国は見られる形で来るものではない。また「見よここにある」「あそこにある」な どとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ”(ルカ伝17:20〜21)
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