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原口牧師との思い出

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  • 2020年4月26日
  • 読了時間: 4分

                                     西原徹 20年くらい前若松バプテスト教会に月一度集まる混声合唱団が誕生しました。月一の練習 で好きな音楽を楽しみたいという練習嫌いでわがままな団体でしたが、私はそこで初めて 原口牧師とお会いしました。

最初にお会いした時の印象は、宗教家で教会の牧師先生とい うイメージではなく、ニコニコとした笑顔が素敵な普通のおじさんという感じでした。そ の後何度かお会いしているうち、次第に彼の持つ宗教観や人生観に深い感銘を持つように なってきました。教会は特別な場所ではないこと、牧師も生きている普通の人間であるこ と。何よりもお付き合いしてよかったのは、決して宗教を押し付けられないし、お説教な どされようとなさらないことでした。宗教家としてそのようなことが良かったのかどうか は判りませんが、私にとっては何よりのことでした。

温かい人柄で、周りにいる人達をいつも和やかな気持ちにさせてくれました。合唱団では牧師はどのパートでも歌える万能プレイヤーでした。どこかのパートが欠けるといつも自分から進んで欠けたパートを受け持ち、合唱団の練習をスムーズに楽しくさせる名人でもありました。メンバーがそろわずイライラしている私に、「もっとゆっくり楽しく歌いましょう」とささやき気分を和らげていただいたこともありました。練習が終わると毎回のように牧師館にお招きいただきました、美味しい家庭料理とお酒を酌み交わし人生と音楽について語り明かしたものです。今思い返すと、何故かキリスト教についての話題はなかったように思います、無神論者の私に対する配慮だったのかもしれません。気づかせないようにして相手を思いやる、なかなかできるもの ではないと思いますが原口さんそれをはさらりとやってのける名人でした。とにかくよく 飲みよく語りました、私にとって原口牧師にお会いするのが若松に行く大きな楽しみでし た。そんな日常のある日さりげなく、「胃がんが見つかったので手術のため入院する」と まるで旅行にでも行くように告げられた時は驚きました。モーツアルトのレクイエムが聴 きたいとのリクエストでCDをお持ちしましたが、しばらくして退院後「半分のつもりが全 部取っちゃった」と平気な様子なのでちょっと心配しつつ、安心してしまいました。「胃 は無くても腸が代わりをするので全然問題ない少しずつ慣らして行きます。お酒も盃一杯 から少しずつ訓練します、大丈夫ですから付き合ってください」私はのんきにもその言葉 を信じ何度かお付き合いしました。その後何故か若松教会を辞められ直方の教会に変わる と伝えられました。私共部外者にはどうしてなのか何があったのか全くわからない事でし た。若松教会から原口牧師がいなくなり、なにかさみしい気持ちで一杯になりました。そ の内一緒にお酒を飲む機会も少なくなり段々と疎遠になっていきました。そんなある日の 冬の寒い日に突然の訃報を聞かされました。葬儀のあった日は雪の降る寒い日でした、西 南の教会で息子さんの建君がひたすらに葬送の音楽を奏でていたこと、今でも目の当たり に思い出します。昔お酒に酔ったある日原口さんと葬儀の時にどの曲で送られたいのか話 をしたことがあります、彼も私も共にモーツアルトの「レクイエム」のラクリモーサで送 られたいことで一致し興奮しました。しかし葬儀の時の弔辞でのお話は長渕剛の「トンボ 」で送られたいと彼が語っていたそうでした。「嘘だろう。」私は一瞬憮然としました。 一人になった帰りに私は何故かさみしくなって無性に酒が飲みたくなりました。雪の降る 小倉駅前の安酒場に入り一人で酒を飲み、酔いに任せて隣に座ったカラオケ好きのおじさ んにトンボを歌って下さいとお願いしました。初めて聞くトンボでした、「ああしあわせ のとんぼがほら舌を出して笑ってらあ」酔いながら歌を聴いていると涙がこぼれてきまし た、ああこれも原口さんやな、なぜか納得してしまいました忘れられない一日でした。

お亡くなりになって一年後に、原口牧師の追悼のコンサートを若松バプテスト教会で実施 しました。原口牧師が企画された「あじさいコンサート」の出演仲間たち3団体での合唱 コンサートです。最後に合同演奏でモーツアルトのレクイエムからラクリモーサを演奏し ました。原口牧師との約束でしたから。

 
 
 

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