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原口牧師とのこと

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  • 2020年4月26日
  • 読了時間: 3分

                              山田雄次

 原口牧師が神のもとに召されて10年が経ちますが、原口牧師の温かい人柄と、人の心をなごます穏やかな笑顔が今も私の脳裏に強く焼きついています。

 原口牧師との交流は、原口牧師が若松教会の牧師に就任された1992年から、召されるまで18年間続きましたが、交流が深まったのはその後半、さらには直方教会の牧師就任においてではなかったかと思います。

 胃から転移した肝臓がんの手術の折、結果を案じつつ1日病院に詰めた日のこと。

ガンが進行する中、励ましの意味を込めて何組かの牧師夫婦連れ立って熊本の阿蘇や山口の萩市近郊の温泉に旅行したこと。

直方教会の牧師就任後には、高須教会の牧師を辞任した私と家族を住居のことも手配りをしたうえで、「ぜひ直方に・…」と熱く誘いを受けたこと。

召天に際しては、葬儀での式辞を依頼されたことなど、いずれも後半、それも終わり近くでの交流の記憶です。

 原口牧師との交流が若松教会時代の後半以降に深まったのは、ある出来事をとおして、原口牧師の人柄との出会いがあったからだと思っています。

 そのある出来事とは、高須教会が回転資金の返済を遅延させたことで、母教会を巻き込み大騒ぎとなったあの出来事です。

連盟から残額の支払いをそれも一度に全額の返済請求が母教会に送付されたことで、母教会の執事会から高須の役員が召喚され「どうした事か・・・・・」と詰問を受けることになりました。

その時の執事会の雰囲気が異常に厳しかったことを今も記憶しています。

母教会に迷惑をかけてしまったことに対し、伝道所牧師として申し訳ないという思いから、追い詰められていた私の気持ちをいくらか軽くし、ある種の救いを感じさせたくれたのが、緊張感のただよう雰囲気の中で、一人いつもと変わらない穏やかな顔で座についておられた原口牧師の姿でした。

少し誇張して言えば、その時の私の気持ちは、姦淫の罪を犯したため群衆から石で打ち殺せと迫られる中、無言のまま身をかがめて地面に何かを書き、群衆の殺意をそらすことでイエスに助けられたあのヨハネ8章の女の気持ちに似ていたと思います。

 高須に帰って、連盟から牧師の退職金を前借して返済することを夫婦で考えましたが、数日後連盟の横川総務部長(当時)が、高須を訪ねてくださり「早まらないで・・・・」と諭してくださり、回転資金の借り入れの名義を高須教会に切り換え、残額についても新しく契約を結ぶこととなり、高須教会30年の歴史における最大の危機をクリアーすることができました。

本人に確かめることはしませんでしたが、諸事情を勘案し横川総務部長に高須を訪ねるよう働きかけて下さったのは原口牧師ではなかったかと今でも感謝しています。

 原口牧師の穏やかな人柄と人の心を和ます穏やかな顔を私は忘れません。


 
 
 

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