原口先生の思い出
- family
- 2020年4月26日
- 読了時間: 2分
二十三年前、原口家は東京から北九州の若松に来られました。若松バプテスト教会の牧師として、又附属神愛幼稚園の園長先生も兼ねての赴任でした。
私は神愛幼稚園に勤めていたので園長先生としての思い出が多いです。
神愛幼稚園には送迎用のバスがない時代に、なんとか多くの園児を受け入れる方法はないか?と言う時に「タクシー送迎をしよう」と思いたたれ一年間タクシーでの送迎が行われ翌年ようやくバス導入ということになり、トトロをイメージした「ネコバス」が運行されるようになったのです。
又創立50周年記念に新園舎を建てる計画が進み、色んな理想とする園を見学しに行きました。設計の方や建築屋さんとの交渉もされ「床暖房」の新園舎が完成しました。
今まで「宗教法人」だった幼稚園を幾度も幾度も福岡県庁まで行かれ、ご苦労の結果二〇〇〇四年に「学校法人」になったのです。
私は、二〇〇四年三月に神愛幼稚園を退職したのですが、退職前に原口先生が「悦子さんがキリスト教の本屋をやりたいと云ってるけど、一緒にやらない?」と云われ現在十一年目に入っています。
その後、若松教会を退任され直方の牧師さんに就任され、四季折々の行事、遠賀川(河川敷)のチュウリップ、夏には花火大会にも誘って下さり、近くで見る豪快な花火を見せていただきました。
悦子さんが経営されている「キリスト教ブックセンター」は最初シオン山教会の教育館の三階を、お借りしてのお店でしたが、ちょこちょこいらして下さって、本屋も半年が過ぎ、軌道にのってきた二月に原口先生は胃がんと宣告され三月に手術をされました。
三年後に同じ小倉北区の白銀(元大韓小倉教会)に引越しました。その時は細長い家を二等分にし、前半分本屋、カーテンで仕切って後、半分は原口家でしたから……お元気で時間のある時は本屋で、よくパソコン(ゲーム「漢字」)をされていました。
又、その頃、畑仕事に興味がおありで根気よく丁寧に、いろんな物を作くられましたが、特に「さつまいも」をいただいたのですが、大きくて、おいしい、おいもでした。
十二月に入いり原口先生はベッドの生活が多くなられましたが、初孫さんの有理ちゃんを携帯の待ち受け画面に入れ、嬉しそうに、いつも見ておられました。
翌年(二〇十年)一月十九日の午後村上春樹の文庫本を片手に持って「行ってきます」と云われて、医療センターに定期の診察に行かれたのですが、最後となりました。
本当に親子共々先生には大変お世話になりました。
富士本 玲子

コメント