何も持たなかった父
- family
- 2020年4月26日
- 読了時間: 5分
原口 創 弟から父に関しての文章を書くように言われて一年以上がたったが、この一年間、一文 字も書くことなく今を迎えている。書きたくないわけではない。書く言葉が私の中で見当 たらないのだ。私が薄情なだけかもしれないが、父との思い出、と言われて思い浮かべる ことがこれと言ってないのだ。子どものころから週末は教会。当然ながら教会に行けば、 牧師としての父と教会員としての私。毎日の食事は一緒に食べるが、父は食べ終わったら すぐに牧師室にこもって説教準備。たまの休みには他の牧師家族や教会員家族が我が家に やってきて麻雀大会。とにもかくにも教会が我が家の中心だったのだ。そして高校から家 を出た私にとって父と「家族」として向き合う時間は、きっとあまりに少なかったのだろ う。ただ、それを悔やんでいるとか、恨んでいるとか、そういった後ろ向きの感情はほぼ ない。むしろ、そんな家族の形を誇りに思っていたりもするのだから自分でも不思議だ。 今回、この冊子をまとめるにあたって父が書いてきた週報の巻頭言をいくつか読んだ。 その中に「家族」について書かれたものがあって目を引いた。父によると「家族」という 言葉は江戸時代にはなく、英語のファミリーに相当する言葉として作り出されたものだそ うだ。そのファミリーという言葉はキリスト教の信仰と深い関係を持ちながら用いられ続 けた言葉である。日曜日はファミリーが皆教会に行き、クリスマスには遠くからファミリ ーがそろい、キリストの誕生を共にお祝いする。そしてファミリーの基本的倫理は、聖書 にある。父親も母親も、罪びととして限界性を持っていることをファミリーは了解してい るし、だからこそ神の教えに従おうとするのだそうだ。日本のもつ「家」「家系」を中心 とした家族の制度、父親がその家族、その家の倫理となり、その家族、家をコントロール するというものとは随分と考え方が異なる。なお「父」という漢字はそもそも「手に鞭を 持つ」象形からきた漢字である。辞書によっては鞭ではなく斧と書いているものもあるが 、どちらにしろ、子どもの為に、家族のために鞭や斧を持って獲物を狩りに行く男性の姿 をから「父」と呼んでいたのである。強いリーダーシップを持ち、家族の中心として、家 族を引っ張り導く、それが一般的な「父親像」なのであろう。では我が家の父は手に何を 持っていたのだろうか。父は、何も持たなかった。どんな状況においても、手ぶらでいた のだ。武器も持たず、防具も持たず、威厳もない。そんな父親であった。 以前、私がタイにいた時のこと、家族や父の友人たちがみんなで遊びに来てくれたこと がある。せっかく来てくれたのだからと私も気合を入れてあちらこちらと案内したのだが 、その中で一つトラブルがあった。とある日にタイ料理レストランで食事をした時のこと だ。おいしいタイ料理を食べた後、清算をお願いすると、メニューに書かれていた値段よ りも随分高い値段が請求されたのだ。タイではよくあることではあることなのだが、普段 タイ人と一緒に過ごしていた私にとっては信じがたく、また、日本からのお客さんたちを 前に気持ちも高ぶっていたこともあり、店員さんと一触即発の雰囲気になってしまったの だ。私と店員さんがタイ語で言い合いしている中、その雰囲気にいてもたってもいられな くなったのだろう。父が間に入ろうと近寄ってきた。が、「おっさんは関係ないやろ。」 と、どんと押され、あっという間に蚊帳の外に押しやられてしまった。(その時着ていた 服が「憲法九条」のTシャツだったことが、また面白かったのだが…)そのよろよろとし た姿、とても情けない姿だった。しかし、その姿をみた私は、心の底のほうで、どこかほ っとしたのである。きっと周りにいた心配していた家族たちも、緊張感がフッと抜け、心 が落ち着いたのではないだろうか。ことなくして、店長さんがやって来て問題は解決した 。 弱々しく、威厳もない姿ではあるが、その姿がなんとなく安心感を与える。これが私の 父なのだ。これでこそ私の父なのだ。そういった意味では父は世間一般にいう「父親」と は異なるのかもしれない。何も持たず、何も強いることもなく、何も責めず、ただ一人の 人間としてそこにいる。それは本当に難しいことだと思う。私も父親となり家族ができ、 その難しさがよくわかる。やっぱり何か示したくもなるし、自分の思い描いた家族像を追 い求めてしまう。父がそれをすることができたのは、たくさんの方々の支えもあったのだ ろうし、何よりも家族の中心に教会、そして信仰をおいていたからなのだろうと思う。 父が亡くなって十年。私は教師となり毎日子どもたちにいろいろな話をするのだが、ふ と自分の話し方が、父の礼拝説教に似ていることに気付くことがある。麻雀はしないが、 毎週のように誰かを家に招待したり、誰かの家に行ったりして酒を飲み交わしている。こ れも父と同じ。仕事が忙しくて、なかなか家族の時間は取れないが、そんな一生懸命な姿 を見て何かを感じ取ってくれればと思っている。父もそうだったのかもしれない。年とと もに体つきも似てきた。これは勘弁してほしい。何も持たない父であったが、私に、私た ち家族には多くのものを残してくれていたのだと、改めて感じる。いや、何も持たなかっ たからこそ、私たちの心にいつまでも残っているのかもしれない。感謝。
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